なこちゃんの暇つぶし

日本語不自由

猪突猛進すぎて振られた話

私には好きな人がいた。彼(以下Tさん)は私のバイト先の違う部署の上司だった。

好きになったきっかけ。社員含め全員で行われたバイト先の飲み会の二次会での話だ。当時、片思いしていた人にこっぴどく振られ失恋したばかりだった私は、酒に強いわけでもないが濃いめのウーロンハイを煽っていた。酔うと投げやりになるタイプの人間なので、酒のおかわりのついでに、カウンターに座っていたTさんに話しかけた。話しかけた理由は特にない。職場ですれ違ったときに挨拶ぐらいしかしたことがなかったようなほぼ面識のない別部署の上司であるTさんに、ウーロンハイを何杯目かを飲み終えてウォッカ入りのパインジュースを飲んでいた無敵状態の私は「オナホール扱いでいいから男の人に優しくされたいどうしたらいいんですか」と意味不明な相談をしていた(ような記憶が微かにある)。Tさんは確実にドン引きしていただろう。しかしTさんはそんな私の話し相手をしてくれた。更に「自分を大事にしなさい...」と優しい言葉をかけてくれお水を渡してくれた。
ーー恋に落ちる音がした。
そう、なこちゃんはちょろいのである。
優しくされるとすぐ相手を好きになっちゃう女の子なのである。可哀想な人間である。

飲み会が終わってから、どんどんTさんへのトキメキが増していくのを感じていた。職場では自然とその姿を目で追ってしまう。相手の行動を先読みして偶然(偶然ではないが)すれ違えるように待ち構えていたり、Tさんのタイムカードをチェックして出勤退勤時間も把握していたり、軽度のストーカーになっていた。そういうことをしているうちに居ても立っても居られなくなり、持ち前の妙な行動力で連絡先を聞き、ご飯に誘った。相手は意外にもすんなり誘いにのってくれてあれよあれよと一緒にサシで飲みに行くことになった。

そしてXデーである。
2人で居酒屋へ行った。お酒を飲みつつ、お互いのことを話した(思い返せば初めてこのときまともに会話した)。
もちろん私が糞ストーカーメンヘラクソビッチだということは話さなかった。当たり障りのない、仕事の話や過去の恋愛話などで盛り上がった。きちんと会話することで、日々のストーカー行為では把握しきれない、Tさんの性格や仕事への姿勢がわかって更にTさんのことが好きになった。二時間ほどゆっくりお話ししたのち、店を出た。

そしてメロメロ状態の私は、会話したといえどまだお互いのことをよく知らないままなのに、バカなので帰り道に勢いで告白した。恋愛経験が実年齢に伴っていなかったためである。このような人間を生み出した社会を恨む。

結果振られた。Tさんは過去に女性関係で痛い目にあってそれがトラウマになっているらしい。詳細も聞いたが割愛する。それゆえ「今は仕事頑張りたいし女性と付き合うというのは無いかな」と言われた。そして「それとは別でやっぱり性欲はあるから寂しいけどね」と漏らした。

ーーこれ、フリじゃん。フリなの?いやフリだろ...いやもう振られたしなんかもうこれどうにでもなれ!
いつの間にやら"あかんパターン"の思考が私を支配していた。

「その相手、私じゃダメですか?」
Tさんは"は?"という顔をしていた。普通にびっくりしていた。どうやら先ほどの発言はフリじゃなかったらしい。この後エロ同人みたいになるんだと思っていた私は拍子抜けした。
「いや、え、あの、俺モテないし、付き合ってない女の子とセックスした経験ないし、え、」
戸惑うTさん。
「でもセックスしたいんでしょう???」
ヤケになりマンコを武器に迫る私。
「いやセックスはしたいけども今は女の子と付き合う気ないし、正直女の子なら誰でもいいみたいな状態だよ?嫌でしょ?」
Tさんのタバコを持つ手が震えていた。今この人マジで混乱しているんだなあとなんだか面白くなった。
「それにもし今セックスしたら、今後なこちゃんのこと彼女にするとかそういうの自体考えることができなくなるかもしれないよ」

ーーそういうのもあるのか。
考えてもいなかった。この時の私は"私なんかにそんな価値ないのに、この人はここまで考えてくれてるんだなあ〜"となんだか感動していた。
さっさとヤリ捨てしちゃえばいいのに。
でもさっきの言葉を私に伝えることによってもしセックスしてそのあと私と付き合わなかったとしても彼自身の中での言い訳になるから言ってきたのかな保身のためかなとか云々かんぬん考えてたらなんだかもう面倒くさくなった。とにかく好きな人とセックスしたいんだわたしは!好きな人がムラムラしているなら!こんなブスのマンコぐらいいくらでもさしだすわ!どうせ思い続けても上手くいかねーだろーしな!

完全に自暴自棄になっていた。好きな人に告白して上手くいったことがなかった私は、これがTさんとの最初で最後のセックスチャンスだと子宮で感じていたからだ。

「あああもうなんかよくわかんないけど好きとか付き合うとか無しでこれはこれそれはそれで今日は今日ということでとりあえず私とセックスしましょう!!」
もはや破茶滅茶である。結構大きな声でセックスアピールをしてしまったが故に自転車で通りすがったおじさんが一瞬こっちを見た。

「...女の子にここまで言わせてしまったしな...」
Tさんは覚悟を決めた顔で私の手を引いて歩みだした。そして2人はホテル街に消えたのであった。

✴︎

その後も半年以上、私はラインやら差し入れやらの正攻法で相手にアタックし続けていたのだが、相手の反応がどんどん冷たくなっていって、私の求愛行動が相手の迷惑になってしまってるように感じて諦めた。

そして今はTさんには彼女がいるらしい。
"女性へのトラウマとはなんだったのか"と憤りを感じていた私だったのだが、偶然Tさんの彼女と接する機会があり、私は打ちのめされた。彼女は、特別美人とか可愛いとかはないけれども性格が良さそうでなにより前向きでキラキラしていて、私とは正反対の人物であったのだ。勝ち目がない。

帰って泣いた。

Aさんと私の話

私がまだ完全なるメンヘラではなく、人生で1番頭が良かった中学3年生の頃。私は高校受験戦争に勝ち、某私立大学付属高校に進学した。建てられて間も無かったため、漫画に出てくるような設備が整った校舎であった。私はこの綺麗な校舎で、キラキラとした高校生活が送れるのだと胸を躍らせていた。設備が良い故に、学費は高かったので金持ちの家庭の生徒が多かった。私の家はけしてお金持ちではなかったが、当時父親が大手企業に勤めていたために学費を払えるお金ぐらいはあった。(もうその頃には父親は密かに多額の借金を抱えていたのだが)

新学期が始まってしばらくしてから、常に行動を共にする"仲良しグループ"ができていた。私は運良く"余りの人間が惰性で集まっているグループ"ではなく、クラスのヒエラルキーで言うと真ん中ぐらいのグループに属すことができていた。しかしなんとなくそのグループに馴染めていなくて、自分の地位のためだけにくっついていた。
そのグループは、私を含め7人の女子で形成されていた。その中でAさんという女の子とは唯一仲が良かった。Aさんは頭が良く、可愛くて、少しぽちゃっとした、笑顔の素敵な女の子だった。性格も穏やかで、まさしく"良い子"という感じであった。Aさんが居れば、私はなんとかこの学校生活を乗り切れるかもしれない、そんな勝手なことを考えていた。しかしその考えは甘かった。Aさんは1年間のイギリス留学を決めていた。私の高校は希望制の留学制度があったのだ。彼女は高校1年生の前期の終わりに、イギリス留学へ行ってしまった。
残された私は、グループに属しながらも孤独感を感じながら学校生活を送った。無駄に難しい授業、無駄に多い宿題、週4回毎朝行われる小テスト、土曜日には絶対参加のボランティア活動、どれかひとつでもサボれば単位は貰えない。大学進学もできなくなる。私は必死に通学した。"楽しい充実した学校生活である"と思い込ませていた。

高校1年生の終わり、父親がいきなり会社を辞めた。元々不仲だった母親と父親の仲は修復できないほどのものとなり、別居状態になった。私はとうとう限界を迎えて、いつの間にかちゃんと学校に行けなくなった。心療内科へ本格的に通い始めた。
パソコンでネットラジオを配信し、早朝までネットラジオ界隈の人たちとスカイプをする日々。学校には、父親(実質ニートである)が毎朝車で保健室の裏口まで送ってくれたためになんとか登校できていた。とはいっても朝方までネットをしてろくに睡眠もしていなかったので保健室でずっと寝ていた。高校1年生の終わりの頃にはずっとその生活を続けていた。冬休みを利用して閉鎖病棟に入院したが症状は良くならなかった。
もちろん、クラス内の"グループ"の方々は心配などもしてくれず、保健室へ会いにもきてくれない。1人になりたく無いだけの友達ごっこ。

そんな状態でも、私はイギリス留学中のAさんたまにメールをしていた。慣れない環境での生活に加え、ホームステイ、学校の課題などもあるようで、彼女も追い詰められているようだった。私も自分の近況をメールに書いた。お互い慰めあい、励ましあった。長文のメールは、途切れずにゆっくりと続いた。イギリスから帰ってきたら遊ぼう、と約束をした。早く帰ってこないかな、と私はそわそわした。Aさんも「私に会いたい」と言ってくれた。

高校2年生。あっという間に春が来た。私は単位をとるために死に物狂いで学校へ登校し授業に出席していた。高校1年生の初めの頃の学力テストの順位よりも遥かに下の順位。成績表にはお情けの数字が並ぶ。ネット中毒になっていた私はネットに救いを求め、2時間睡眠で登校し、処方された大量の抗鬱剤を飲む生活していた。死にたい、と毎日思った。

高校2年生の前期が終わり、Aさんが帰国した。待ち焦がれていたことだ。Aさんとは違うクラスだったが、私のクラスにはAさんと仲の良かった子がいたため、Aさんはたまに私のクラスに遊びに来ていた。迷わずAさんに話しかける。
違和感。なんとも言えない違和感を感じた。久々に会ったから、というわけでもない。なんだか本当に"他人"と話しているような違和感。私はAさんに話しかけ辛くなった。Aさんもなんだか気まずそうにしていた。いつの間にか、お互い廊下ですれ違ったときに手を振りあうだけの関係になってしまっていた。

季節は流れて2月14日バレンタイン。教室は"友チョコ"を交換しあう女子たちで賑わっていた。友達のいない私には関係のないことだった。"羨ましくなんかない。羨ましくなんかない。羨ましくなんかない。"心の中で呟き続けた。
教室をぼうっと眺めていると、紙袋を持ったAさんが視界に現れた。きっと中身は"友チョコ"だ。
もしかしたら、わたしにも、

AさんはAさんの友達と"友チョコ"を楽しそうに交換しあい、そのまま自分のクラスへと帰っていった。私はただの背景だった。

わかりきっていたことなのに、少しでも期待してしまった自分が惨めだった。そして、Aさんへの理不尽な怒りがこみ上げてきた。
メールでお互いの悩みを長文で送りあったあの日々はなんだったのか。他のやつらなんてAさんにメールすら送ってなかったくせに。Aさんが帰ってきた途端チヤホヤしやがって。なんだったんだ。なんだったんだいったい。全部嘘だったのか。私だけが、一方的に彼女のことを思っていたのか。Aさんは変わってしまったんだ。結局"友達ごっこ"だったのだ。良いように使われただけ。自己の承認欲求を満たすためだけに!

鏡を見る。不規則な生活のせいで荒れた肌、酷いクマ。大量の抗鬱剤のせいで浮腫んだ顔、運動もせずネットをし続けて太った体。母親に「全てを敵に思っているような怖い近寄りがたいオーラが出ている」とも言われた。死にたいと思い続け人を僻み続け歪んだ思考。
変わったのは私だった。

私のための躁うつ病攻略

私は双極性気分障害(躁うつ病)である。
初めはうつ病と診断されていたが、だんだんと活動的ポジティブになって処方される薬も減っていって、"こりゃうつ病治ったぞ!?"と思ったところで鬱がぶり返した。こういうことが数ヶ月から1年ペースで繰り返されたために病名が"双極性気分障害"に変わった。

最近になって、自分の躁うつの攻略法がなんとなくわかってきた。
私は双極性気分障害2型であるため、病状は軽躁状態(行動が活発になりすぎる)と鬱状態にわかれる。1型の人については省略する。因みにこの文章を書いている今の私の状態は鬱がマシになってきて少し行動的になってきた、軽躁と鬱の間くらいであると思われる。
軽躁は軽躁でもそれがいい感じに作用すれば、ちゃんと働けるしちゃんと頭も働く。精神障害者であることもバレないほどに社会に溶け込める。しかし躁がひどくなると私の場合は行動的になりすぎる。あまり寝ないだとか、予定をいっぱいいれてみたり、バイトを掛け持ちしてみちゃったり。ありがたいことにお金をじゃんじゃん使ってしまうということはないが、なんか勢いでジムに契約してしまったりなどはある。謎のやる気で満ちている状態である。
躁状態の間に疲れが蓄積されてきて何かしらの大きなストレスを受けると一気に鬱状態になる。

つまりは躁になりすぎないようにすることがポイントなのである。
そんなわけで、躁に陥らないように私用のメモを残しておく。

・睡眠時間はしっかりととる。
・バイトをかけもちしたくなったりしても我慢する。無茶をしない。
・疲れをためすぎない。
・行動する前によく考え、誰かに相談すること。
・すごく行動的になってきたな、と感じたら主治医に報告し、薬の調整をする。
・予定をいれすぎない。週に一回はのんびりする時間を作ること。
・軽躁状態だと薬を飲むのを忘れがちになる。ちゃんと飲むこと。

全ての躁うつ病2型の人に当てはまるかはわからないが、このメモに従えばよっぽどのことがない限りは軽躁からの重い鬱に転じることはないはずだ。まだ試してないからわからないけど。

次に軽躁になった私よ、この文章を読むんだぞ。いいな。

自殺未遂について

この間人生で2回目の自殺未遂をした。

1回目の自殺未遂は高校生のときに自宅マンションのベランダの塀を登ってあと一歩で落ちるというところで、結局勇気がなくてその場でしばらくわんわん泣いただけなので自殺未遂とは言えないのかもしれない。

2回目の自殺未遂、ついこの間のことである。
恋人に私のツイートアカウントが見つかってしまったことが事の発端だ。
何故見つかったのかというと、恋人宅のwi-fiを使っていたからかわからないが、恋人のツイッターの"おすすめユーザー"に私のアカウントが表示されてしまったらしい。
私は、現実には口にできないようなドロドロとした感情を思うがままツイートしたり、自らの不幸をネタにして"笑い者"にされることで承認欲求を満たしてみたり、突発的な自分の感情をツイートしてみたり、自分の性生活を赤裸々にツイートしたりしていた。恋人にとっては不快なツイートをしまくっていた。デリカシーのないこともたくさん。
恋人に「もうお前のことがわからない。考えさせてくれ」と言われたとき、ふと"死に時だ"と感じた。とても冷静だった。
「今までありがとうございました」と恋人に告げて、話し合いの場だった恋人宅を出た。そのとき私は自宅の鍵を恋人宅に忘れていったのだが、それに気づかなかった。この忘れ物がなかったら私は生きていなかったかもしれない。
コンビニに寄って、布製のガムテープとゴミ袋、そして"澄み渡る葡萄酒"を購入した。そのまま漫画喫茶に向かって6時間パックでフラット席を借りた。ここまでの準備は驚くほど淡々とスムーズに行われた。

薄暗い漫画喫茶のフラット席。紙コップに氷をいれて、"澄み渡る葡萄酒"を注ぐ。何故このお酒を選んだかというと、純粋に飲んでみたかったからだ。それに私はアルコール度数が高くて苦いお酒が苦手だったため、飲みやすいお酒を選ぶしかなかった。
そしてデパス1シートとエバミール3錠をお酒で流し込んだ。「澄み渡る葡萄酒、美味しい」とぼんやりと思っていた。そしてビニール袋を被って首元をガムテープでぐるぐるに密閉し、横になった。突発的に決行したので、持ち合わせの薬では量も少ないしお酒だってコップ一杯ぐらいしか飲んでいなかった。「これで死ねるものなんだろうか、まあ死ねたらハッピーだなあ」ぐらいの感覚だった。
ここで恋人から「鍵忘れてるよ」とラインがきた。しまった、と思って「もう必要ないので大丈夫です」と返信した。このあたりから目の前がグルグルと回り出して、頭がぼーっとし始めた。
元々お酒に強くなかったのと、十数年間精神系の薬を飲んでいるがずっと処方通りの分量を飲むことを守っていたためだろうか。私は恐ろしいほど簡単に、ODというには少量すぎる薬と酒で意識と記憶を飛ばした。正直自分でも驚いた。

こうしてブログを書いている以上、私は助かったわけだが、自殺未遂後2日間ほどは断片的な飛び飛びの記憶しかない。恋人が、漫画喫茶で私が被っていたビニール袋をやぶってそして私を一発どついたのはぼんやり覚えている。
記憶がない中で恋人からの電話をとり、居場所を聞かれて漫画喫茶の場所を伝えたのだろう。そして恋人が助けにきてくれたのだ。恋人が助けたとき、私はずっと笑っていたらしい。怖い。"私"じゃない"私"がそのとき存在していたのだ。覚えのない、恋人からの大量の着信履歴と、文章になってない文章を恋人に大量に送りつけたライン履歴がそれを証明していた。

人は簡単に死ぬし簡単には死なないという矛盾を今回思い知らされた。
"私"でない"私"が死を望まない以上、私は死ねないのだろう。

私が友達を無くすまで Mさん編

私は幼稚園までは大阪で暮らし、親の仕事の都合で小学生〜大学中退後しばらくは滋賀県で暮らしていた。

生まれ育った地元というやつなんだと思う。しかし地元には友達が一人もいない。本当である。ツイッターでよくある「友達がいない...ぼっちつらい」とか書いておきながら「地元の友達とごはん食べてる」とか書いてるようなファッションぼっちではない。滋賀県に帰る理由が本当に無いぐらい地元に友達がいない。何故そんなことになってしまったのかをクソ暇なニートの間に思い出し書き起こしてみることにした。誰も得しない。

中学一年生、私は吹奏楽部に入部した。そこで出会ったのがMだった。Mとは同じ楽器(チューバ)だったので一緒に行動するうちに仲良くなった。Mはポケモンのスリープに似ているぽっちゃりな女の子でクラスのヒエラルキーでは一番下な感じの典型的オタク腐女子だった。私もオタクで腐女子だったため仲良くなった。しかしMは吹奏楽部で唾液を拭う用のタオルなどを1カ月洗わなかったりで不潔だったのでそこが生理的に無理だった。なので彼女には一切触れない(物理的に)ようにしていた。

中学生のときの私はなんか偉そうで(厨二病だったんだと思う)、Mを足のように使っていた。気分によっては暴言を吐いたり冷たくしたりしていた。でも仲良くしてくれた。Mは心が広い優しい女の子だったんだと思う。今思えばなんで私と一緒にいてくれたのかよくわからない。本当は一緒にいると楽しかったし嬉しかった、しかし変なところがシャイなのでそういう感情は彼女の前では見せなかった。(三次元のツンデレの需要無し)
2人でよく遊んで、遠出をしてみたり、早朝に散歩をしてみたり、これが親友ってやつなのかな、と嬉しかった。

中学を卒業して、そのとき私は人生の中で一番頭が良かった時期だったので大学付属の進学校へ、Mは勉強が得意ではなかったのでなんかよくわからない商業高校へ進学した。
別々の高校でもたまに連絡をとりあっていた。私は学校に馴染めず、クラスのヒエラルキーの一番下の余り物グループに属していた。友達が一人もいなくて、とても苦痛だった。そのうち家の事情も相まって鬱が加速し登校拒否、入院。Mはお見舞いにきてくれた。他愛もない話をした。本当にいいやつだった。一緒にいて楽しかった。でも素直な気持ちは伝えられなくてやっぱりぶっきらぼうに接してしまった。でも彼女は構ってくれた。

私はどんどんと鬱におかされて薬を何十錠も飲んでほぼ廃人になりながらも授業だけは出席してなんとかギリギリで高校を卒業した。
高校生活は地獄でしかなかった。結局高校では友達も一人もできなかった。卒業式は誰よりも先に帰った。

その頃にはMとは疎遠になっていた。連絡もだんだん来なくなった。
"就職活動とかあるもんなあ"と寂しい自分を誤魔化した。

成人式、私はひとりだった。手持ち無沙汰なまま会場を歩いていると、人がごった返す中でMを見つけた。
彼女はMの高校の友達に囲まれていた。きらきらと楽しそうだった。Mが私に気づき手を振る。近づいてくる。

私は、その場から逃げ出した。
私の存在はMの中ではもうどうでもいい存在になっていたことを感じた。連絡がこなくなったのも、私から連絡してもなんだか距離を感じたのも、きっと彼女は高校に自分の居場所を、素敵な仲間たちを見つけたのだと、悲しくなって逃げた。私は彼女にとって一番の友達でありたかった。自分の気持ちが伝えられなくて暴言を吐いたりして、彼女のことを何回も傷つけただろうに、私は彼女の中での大きな存在でいたかった。馬鹿である。

成人式の会場には30分もいなかった。着付けに数時間もかけて、こんなことなら来なければよかったと、自分は何に期待していたのかと、後悔した。
Mに酷いこともしてしまった。
本当は話しかけたかった。
謝らなくてはいけない、と携帯を開き、Mに謝罪のメールをうつ。送信する。返事が来る。

"あなたのことが理解できない。もう関わらないでほしい。"

そりゃそうだよな、と思った。
私は友達を失った。